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半世紀以上恥ずかしながら生きてきました、日々思うことや 仕事の話を少しづつ語らせて頂きます。 寄り道いただけたら幸いです。
プロフィール
HN:
ハート大樹
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1961/08/25
職業:
清掃屋さん
趣味:
読書、競馬、
自己紹介:
くつろぎ笑顔の創造という理念の基、ご家庭での浄化清掃を 行っております、整理、整頓、清掃、清潔、浄化を大切に 心からくつろげるご自宅でありますように。 ブログにお立ち寄りくださいませ、宜しくお願い致します。
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ブログに寄り道して頂き ありがとうございます。
日々生きている中で、不安になってしまう事は
よくあります・・
不安になる理由はいろいろありますが、
その一つとして、
何かを失うことへの恐れが
あるのではないでしょうか・・
 
それは、
仕事であったり、
人間関係であったり、
お金であったり。
 
これらは生きていくために必要なもの。
もし失ってしまえば自分の人生が困難になる、
そのように考えれば誰でも不安になるはずです。
 
そして物事へのおもいが強くなればなるほど、
失うことへの不安も大きくなっていく。
ドイツの哲学者エーリヒ・フロムの言葉です・・
「もし私が私の持っているものであるとして、
 もし持っているものが失われたとしたら、
 その時の私は何者なのだろう・・
 持っているものを失う危険から生じる心配と不安は、
 ある様式には存在しない・・
 あることの社会の確立に成功するかどうかは、
 ほかの多くの方策にも掛かっている・・」
何かに依存すればするほど、
不安も一緒に抱え込むことになってしまう。
 
誰でも不安は持っています。
それが膨れ上がってしまうのを避けるには、
物事への執着を減らしていくことも必要なのでしょう。
 
失っても何とかなるという前向きな割り切り。
失うことを想定した心の準備。
そして自分の足で歩いて行けるように、
物事や目先にゴールを設定することなく、
自分自身の目標に向かっての
日々の積み重ねが大切だとおもうのです。
 
何かに依存して、
大切な今日を失ってはいけないと
教えてくれているような気がします・・
加藤諦三(社会学者)の言葉があります・・・
「前に進むためには、退くことを受け入れること・・」
今起きている事実を受け入れて、
ではこれからどうするかを考えていこう・・
どんなことでも受け入れなければ、
次のステージに進むことはできない。
中途半端な状態で悩むより、
いったん受け入れて、気持ちをリセットしてみましょう・・
今日はここまで 感謝!!



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ブログに寄り道して頂き ありがとうございます。
アメリカの自己啓発作家デール・カーネギーの
言葉があります・・・
「小事に煩わされないために必要なことは、
 努めて力点を変えてみること。
 つまり、心の中に新しく愉快な視点を作ることだ。
 気にする必要もなく、
 忘れてもよい小事で心を乱してはならない。
 小事にこだわるには人生はあまりにも短い・・」
おいらもときどき、
些細なことを気にしてしまうことがあります・・
ただ、小さな失敗をいつまでも悩んだり、
些細なことを心配していても
そこから得るものはありません。
 
であれば、それもすべて受け入れて
楽しんだほうがずっといいとおもうのです。
毎日の生活のなかでポジティブな視点をもつ。
ちょっとしたことでも
一日ひとつの喜びをみつける。
自分や他人のよいところを見る習慣をつける。
そして、自分のよいところは
もっと大きく伸ばしてあげる。
 
人生はあっという間です。
だからもっと人生を楽しめたら・・
小事にこだわる
これは、小さな悩みと
言い換えることができます・・
デール・カーネギーの
小さい悩みか、大きな悩みかの尺度は、
この文章を読む限り。
1年たったら誰もが忘れてしまう
かどうかということだと思います。
確かに、ほとんどの悩みは一年
もすれば忘れさられるものです。
自分の事でさえも、そうであるならば、
他人は昔の事など、そもそも覚えて
ないいのかもしれません。
案外、悩みというのは、自分はしっかり
覚えていても、相手は覚えていないものです。
例えば、ビジネスで上司とかは、
部下にどんなひどい事を言っても、
気にしてないので、
次の日には自分が何をいったか、
ケロッと忘れているものです。
よっぽど大事なことでないかぎりは、
脳の中で、反復しないので、
きれいサッパリ忘れてしまいます。
一方で、
言われた本人は悩むものですね
昨日の彼氏の発言がどうとか、
親からこう言われたとか、
友達がこういったとか、
その発言を心の中で反芻して
しっかりと記憶に定着させて
しまいます。
結局は、そういう事に執着しているのは
自分自身なのだと思います。
仏教の教えは、
そういう執着を捨る事を教えていますが、
あながち本質をついています。
でも、なかなか小事への執着を
捨てるのは難しいものです・・
小事と大事の差は一年間で他人が
忘れられるか、忘れられないか・・
基準は自分ではなく他人・・
そう考えると、今起きている事の大部分が
小事となってしまう・・
人生を楽しむためにはあっけらかんと
切り替えられることが大切かも
知れないですね・・・
今日はここまで 感謝!!




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<a class="external-video-link" href="https://www.youtube.com/watch?v=hp_J0SpUiCA&external_video_config=width%3D320%26height%3D240">Enya - Only Time (Tradução) ♫</a>
ブログに寄り道して頂き ありがとうございます。
皆さんの周りにも基本的な能力や応用力
もあるとおもわれる方が
「自分には難しいとおもいます・・」
「わたしなんかには・・」
と言われる方はいませんか?
 
初めは謙遜しているのかとおもいましたが
多くの場面で実際よりも自分自身を低く評価している。
それは謙遜というより自分を卑下しているようです。
 
そのように考えてしまう何かしらの理由があるのかとおもいますが、
自分で不自由な道を選んでしまっているのではないかと感じます。
シスター渡辺和子さんの言葉があります・・・
「 人間一人ひとりが
 もう少し「誇り高く」生きることが
 大切ではないでしょうか。
 大きな花、豪華な姿で咲き誇る花を羨み、
 自らを卑下することなく、
 「小さきは小さく咲かん」
 という健気さとプライドを持って生きること。
 それはまた、他人にもその人なりの、
 その人にしか咲かせることのできない
 花を咲かせようとする姿でもあります・・」
「わたしなんかには・・・」
と考えなければ
もっと自分の世界がひろがっていく。
 
客観的に自分をみて、
まだ未熟であると判断しても
「自分には無理だから・・・」
というネガティブなこだわりを捨て去れば
目の前にあらたな道が延びていく。
 
「小さきは小さく咲かん」とは、
自分を小さく評価することではなく、
ありのままの自分を受け入れること。
 
誰かと比較して
自分にないものをうらやむことなく、
誰かにへつらうことなく、
みずからを見下すこともなく、
ただ自分らしく生きていく覚悟。
 
自分らしさが自分を輝かせ、
周囲の人々にもやさしさを与えます。
 
苦しいときや悩みを抱えているとき、
「小さきは小さく咲かん」の気持ちが
あらたな一歩を踏み出したり、
困難にも負けず根を張り続ける勇気を
わたしたちに与えてくれるとおもうのです・・
最後にエンヤさんのEnya - Only Time (Tradução) ♫
を貼ります・・・透き通った声がすごく落ち着きますね
今日はここまで 感謝!!

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<a class="external-video-link" href="https://www.youtube.com/watch?v=VhXP8RC_v9I&external_video_config=width%3D320%26height%3D240">自然の音景色L 静かな森 (野鳥の鳴き声) ・ Nature Sound</a>
ブログに寄り道して頂き ありがとうございます。
皆さんは、不快な音はありますか?
大部分が不快と感じる音は例えば黒板に爪を立てて
キーと引く音かもしれませんね・・
先日、普段はあまり気にしない
騒音について考えることありました。
日中に小さなお子さんが歩いたときに「キュッ、キュッ」
と音を出す靴で歩かれていました・・
中々微笑ましく、可愛いと思えましたが
深夜の静まり返った住宅街で結構な速足で
聞こえると、かなり不快に感じました・・
普段は、おもしろい靴だなとおもいながら
あまりに気にせずに聞こえていましたが・・
 
夜中は「キュッ、キュッ」の音が
いつもより大きく聞こえる・・
静まりかえる住宅地に「キュッキュッ、キュッキュッ」
鳴り響いている・・
おそらく20mくらいの距離であれば十分聞こえる音量です。
 
それは虫の鳴き声のようにやさしい音色ではなく、
すこし不快に感じるであろう音。
うるさかった「キュッ、キュッ」の音も
日中は気にならない・・
「あれっ」とおもいましたが、
こんなにも日中は生活音や車の発する騒音は
大きいのかと・・
この騒音の中でわたしたちは生活していることを実感しました。
シェイクスピアの言葉があります・・・
「テンポがくずれ、音のバランスが狂うと、
 甘い音楽も不快なもの。
 人の暮らしも同じなんだ・・」
 
普段、それほど騒音を意識しないのは、
無意識のなかで
不快感を起こさせる音を聞かないように
努力しているからでしょう・・
 
車や生活音が子どもの靴の音をかき消したように
わたしたちも車の騒音を意識から消している・・
でも、その無意識の努力が
気づかないうちに疲れを生じさせてしまう。
 
都会に限らず、
人の集まる場所は騒音にさらされています。
 
音楽でも生活でもテンポやバランスの崩れが
不快感を引き起こすと・・
 
長い歳月をかけて、
自然のテンポやリズムに適応して
生きてきたわたしたち人間にとって、
その心地よいリズムとは、
きっとゆったりと深く落ちついたもの。
 
いま、わたしたちは騒音にかこまれ、
常に時間に追われるような生活を続けています。
神経をすりへらしてしまうのは当然のことでしょう・・
 
ですので、ひとときでも一人の静かな時間をもったり、
大地のリズムを感じられる自然に触れるということは、
心をおだやかにし、
心の活力を取り戻すためにも必要なことなのでしょう。
最後に自然の音景色L 静かな森 (野鳥の鳴き声) ・ Nature Sound
を貼ります・・
4時間以上ありますが・・しばしくつろいで頂けたら幸いです・・
今日はここまで 感謝!!

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ブログに寄り道して頂き ありがとうございます。

夢や目標を持っている方は、

そうでない方より

不安や恐れを抱くことが少ないのかもしれません。
 
ただ、努力をかさねても

おもうように結果につながらないとき、

不安な感情におそわれてしまうかもしれません。

哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉です・・

「およそ惨めなものは、

 将来のことを不安に思って、

 不幸にならない前に不幸になっている心です・・」

 
「もしかしたらやり方がいけないのだろうか?」

「そもそも選択が間違っていたのだろうか?」

状況によって方法手段を修正したり、

大きく変更することも必要でしょう。
 

しかし、ただ不安だからという理由で

すぐに違う道を求めたり、

引き返してしまうのはいけないはず。
 

不安が大きくなれば、

何が不安なのかその理由を考え、

明らかにする。
 

それによって、

その不安には何の根拠もないことがわかったり、

進むべき道を変える正当な理由が見つかるかもしれない。
 

不安や心配といった感情にまかせて

方針を変えてしまえば、

いつか道を見失ってしまうだけではなく、

目指すべきゴールさえも忘れてしまうかもしれません。
 

何事にも不安はつきまとうもの。

不安の先には、

あらたな喜びも一緒に待っていると考えたい・・

ただ、「前向きになれ、前向きになれ」

と騒がれるのは、おいらも好きでないです。

それは、前向きというより、

プレッシャーに近い場合もあるから・・

そして、無理して

前向きにならなくてもいい時も

あるんじゃないかと…

そんな無理より、

起こっている出来事を受け入れて、

見る側面を変えるだけで、

「なんだ、それだけのことか…」

という気分になれたらいい・・

大切なのは、自分のアタマが

フル回転できる状況になること。

前向きでなくても、

それは出来ると思う。

逆に、フル回転できなくなるほど、

心に「不幸の前の不幸」を

詰めこみ始めたら、

やっぱり、そちらの方向へ

進んでしまう可能性は高いと思う。

人それぞれ…

不幸を背負うために

生まれてきたように見える人もいるけど、

なかには、そういう不幸を喜んで

背負っている感じの人もいる。

「不幸だ、不幸だ」と騒ぎながらも。

心だけは、自由にしましょう・・

心にはそういう能力があるようですから・・

今日はここまで 感謝!!



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