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半世紀以上恥ずかしながら生きてきました、日々思うことや 仕事の話を少しづつ語らせて頂きます。 寄り道いただけたら幸いです。
プロフィール
HN:
ハート大樹
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1961/08/25
職業:
清掃屋さん
趣味:
読書、競馬、
自己紹介:
くつろぎ笑顔の創造という理念の基、ご家庭での浄化清掃を 行っております、整理、整頓、清掃、清潔、浄化を大切に 心からくつろげるご自宅でありますように。 ブログにお立ち寄りくださいませ、宜しくお願い致します。
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ブログに寄り道して頂き ありがとうございます。
「心」とはいったい何か・・
おいらが「心」だと思っているものと、
他人が考えている「心」は同じものなのか・・
自身の「心」さえ分かっていないのに、
自分が考えたことや思いを論じてみても、
それがどれほどの事なのか・・
深く考えていくと、哲学的にも、宗教的にも
なっていきます・・・
江戸時代後期の真言宗の僧侶
慈雲尊者の言葉があります・・・
「心とも知らぬこころをいつのまに
 我が心とやおもひ染めけむ・・」
つまり心というものを、自分が「これが心だ」と
思っているけれども、実はそうではなくて、
もっと本来の心というものがある。
私たちが日常に、「これが好き、嫌い」
「こうしたい、ああしたい」という感情が
たくさんありますが、それを心だと思っているけども、
そうではないということですね。
例えば海のさざ波がありますけれども、
さざ波ばっかりを見ておって、
海の大海を見ておらない。
全体を見ていない・・
またその奥深いところを見ていない・・
いつも感情の波ばかりを見て、
そこが心の全体だと思っている・・
その辺りの意識する部分だけを自分の心と思っている。
そういう心の捉え方しか私たちは
していないわけです・・
自分の心というのを、いくら見ようと思っても、
見ている自分の眼で自分を見ることはできない・・
自分の舌で自分の舌を味わえない・・
ところがそういういつまでも見ることができない
自分であるということを知らないで、
「ああしたい、こうしたい」とか、
「あれがほしい、これがほしい」とか
思っているのを自分の心と思ってしまっている・・
「心自不知心(心自ら心を知らず)」
この言葉は、普段わかっていると思っている
「心」の存在に疑問を投げかけることで、
思索、探求する事の大切さを説いています・・
一方、思い込みの傲慢さを戒めているのでしょうか・・
くつろぎ笑顔のブログを発信しているのに、
くつろげない、笑えない、自身を
大いに反省致します・・・・
稲盛和夫さんの言葉から
『あらゆる事象は心の反映である。
 したがって純粋な心でひたすら念じ続ければ、
 たいがいのことは成就する・・』
まだまだ純粋じゃないですね、
信じて念じていきます・・・
今日はここまで 感謝!! 


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